きみといっぽ。

~未婚シングルマザー的しあわせLife~

3月11日は特別な日~出産を振り返る~

こんにちは、未婚シンママのkimi(@kimippo311)です。

この記事がなんと、このブログ100記事目!!

いつもご覧頂き、ありがとうございます^^

 

今日、3月11日はいっぽの4歳の誕生日。

この世に誕生してから4年の月日が経ちました。

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4年前の今日、午前4時頃にトイレに目覚め、

ベッドに戻って横になった瞬間に破水。

本当に耳に聞こえるほどの音で

お腹で”バチン”と何かが弾けるような音がした直後に

たらーっと羊水が出てきた時のこと…今でもはっきりと覚えています。

 

股に毛布を挟んで、

寝ている母に「破水したっぽい」と伝え、

準備していた入院バッグを持って産婦人科へ。

 

ドキドキとワクワク。

「やっとこの子に会えるんだ」と…。

 

病院についてから、エコーで赤ちゃんを確認。

推定2600g。

「小さ目だけど、もう出てきても大丈夫!」と助産師さん。

 

受診の度に「頭が小さい」と言われていたいっぽ。

妊娠9か月の頃には、切迫早産で1週間入院し、

退院の日に「1週間もしないうちに生まれる可能性が高い」と言われていました。

でも、予定日の4日前まで頑張ってお腹にいてくれたいっぽ。

 

退院後から毎日のように「いつか、いつか」と待ちわびて、

あまりにも出てこないから

”この子は私に会いたくないんじゃないか”

なんて悲観的になったことも…。

 

今思えば全て、微笑ましい思い出。

 

エコーが終わって、すぐに分娩室へ案内され、ベッドに横になりました。

「破水しているから、感染の危険がある為、促進剤を投与します。」と先生。

病院に到着してから30分くらい経った頃には点滴に繋がれていました。

 

入院のための書類や、促進剤投与のための書類、

生まれてくる赤ちゃんに対するケアの書類など、

5~6枚ほど書類にサインしました。

 

少しずつ陣痛も来ていましたが、

助産師さんや母と会話しながらあっという間に午前8時。

陣痛の中、分娩台で、朝食食べましたw

 

子宮口の開きも良くなく、陣痛も弱いことから、

先生には「今日中に生まれてくれるといいね」と言われていました。

「緊急帝王切開をする可能性もあるので…」と助産師さんに下の毛を剃り落されましたw

 

促進剤投与量?を増やして、陣痛間隔が短く、強くなってきだしたのが午前11時前。

陣痛間隔の間に助産師さんと母と話していると

「まだ話せるくらいの陣痛なら、赤ちゃんは生まれないね~」と。

 

「いや、結構痛いよ?」と言うと、

母に「そんなもんじゃないよ。生まれた後にわかるから~」と…。

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そうこうしているうちに、間隔ももっと短くなって、

陣痛も長くなり、さらに痛みも強くなってきた。

もうこの時には話す余裕もなくなってきてました。

 

看護師さんや助産師さんがあれやこれやと周りでしている中、父到着。

分娩室でビデオカメラを回していましたw

 

本格的な陣痛に入ってきたのが多分、12時前後。

看護師さんに「たぶん、この先は付き添われないほうが…」と促され、父退室w

母が声を掛けてくれながら、手を握ってくれていました。

 

先生もきて、「いよいよ分娩?!」という雰囲気だったけど、

「子宮口が開いてないから、長いお産になりそうですね」と…。

”この痛みがまだまだ続くの?!”ともう私は目が回りそうでした。

 

陣痛間隔が短く、悶える私を見かねたのか、人口マスクを装着されました。

そこで、看護師さんが私の様子を見て、陣痛の具合を測る機械を別の物に交換。

なんと、それまでつけていた機械が不具合を起こしていて、正確な陣痛強度が測れていなかったことが判明。

 

おい!w

 

すぐさま先生、再び登場!!

「赤ちゃん下りてきてますね。赤ちゃんも頑張ってるから、お母さんも頑張りましょう!」と…。

”がんばっとるわ!!!!”と内心叫びたい気持ちでしたが、悶えるのが精いっぱい。

「次の陣痛でいきんで~!」と助産師さん。

機械が反応し、「はい!いきんで~」と。

何度かそれを繰り返しました。

 

「はい、今から切りますよ」と先生w

”バチン”という勢いの良い音がして、切られたことはわかったものの、陣痛の痛さのほうが強くて、なんともなかったです。

 

でも、その頃の私、もうすでに半狂乱。

いきんだ状態で先生の顔面に向かって「もう無理~!!」と叫びましたw

そうすると先生「はい、わかりました!麻酔打ちますね!」と。

助産師さんも看護師さんも「麻酔が効く前に生まれます!!」とw。

すると先生、「それでもいいから」と…。

(今思うと、そんなに簡単に無痛分娩に出来るもんなの?って感じですw)

 

すぐさま背中に麻酔を打たれました。

痛みからの解放で、無気力に天を仰ぐ私w

 

看護師さんに「痛みはないけど、陣痛きてるから!」と腕をつかまれ、

助産師さんに「次の陣痛でいきんで!!力加減がわからないなら、思いっきり上半身を起こして赤ちゃんが出てくるところを見て!!」と。

 

機会が反応し、その場の皆が

「はい!いきんで~!!!!!」とw

 

麻酔のおかげで、本当に力加減がわからなかったので、

助産師さんの指示通り、上半身を起こしていきんで、股座を見た。

 

自分の体から、にょき~っと出てくる赤ちゃん。

出てくるまでいきんだまま、見入っていました。

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「生まれるよ~」と先生。

最後はいっきに出てきました。

麻酔後、1回のいきみでw

 

13時12分。いっぽ誕生。

(あと1分早かったら、3.11pm1:11だったのに…w)

 

その足にはなんと、へその緒がぐるぐると巻きついていました。

先生が「これが原因だね。なかなか出てこれずに挟まったまま、赤ちゃんも頑張ったね。」と。

 

元気に産声をあげるいっぽ。

産着を着せられて、胸元に来ました。

”やっと終わった”という解放感と

”やっと会えた”という感動で目から涙が…。

 

そこに父も登場。

父と母の目にも涙が。

 

「かわいい」と、伸びた頭の赤ちゃんを見ながら、

全身から母性があふれ出てきてましたね。

 

しかも、推定2600gの小さな赤ちゃんと言われていたいっぽは3100overで誕生。

でけぇよ!普通に充分立派だわw

 

その後、分娩室で暫く休むように言われ、

隣には小さなベッドに生まれたばかりのいっぽ。

分娩室にいる間、ず~っと見ていました。

 

 

あの日から早4年。

時が経つのは本当にあっという間。

腕の中に小さく丸まっていた赤ちゃんが、今や4歳。

 

絶対に3月11日だけは避けて出てきてほしいな…と思っていたのに、

その3月11日を選んで、この世に生まれてきたいっぽ。

 

「悪魔の日に生まれた悪魔の子」と言われたこともありました。

その時は本当に頭に血が上る思いだったけど、やはり、そうではない。

 

東日本大震災が起きた3月11日は、

多くの命が失われ、多くの人が悲しみを抱えた日。

毎年その日に「生まれてきてくれてありがとう」と言える私は、

いっぽの命の尊さを感じると共に、

あの日失われた命を考える機会を与えてもらってる。

 

命は儚い。

それこそに尊い。

 

この先、私が生きていくこの人生の中で、

3月11日は宝物であり、

1年で1番、命を感じる1日であり続ける。

 

「生まれてきてくれてありがとう」

そして「今日もまた、生きていこう」

 

与えてもらったその命を感じながら、

普段通り生きていられる幸せを噛みしめて。

 

3.11東日本大震災で亡くなられたすべての方のご冥福をお祈りいたします。

 

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